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                                25-12-01
        ドイツの古城    〜歴史の旅
       【第1号  マルクスブルク】
                       http://burgen.hoops.ne.jp/
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○はじめに

 みなさんこんにちは,発行人のぺんたです。みなさんは,ドイツに一体いくつ
の城があると思いますか。答えは,沢山です。1万とも2万とも言われています。
ちなみに日本の城の数も紹介すると,これも1万とも2万とも言われているそう
です。
 どの城にもその城の歩んだ歴史がありますので,それを簡単にみなさんに紹介
します。発行周期は隔週目標の不定期です。(^-^;)

 第1号は,ドイツ城協会の本部が置かれているマルクスブルクを紹介します。
旅行ガイドブックのライン川下りのページに,必ず紹介されている城です。


●マルクスブルク(Marksburg)

 ライン川右岸,ブラウバッハの粘板岩の岩山の上に立つ山城。年間17万人がこ
の城を訪れます。一度も廃墟になることなく,近世のロマン主義による改築もさ
れず,中世の姿を今に留める城です。2重の城壁を持ち,四角柱の上に円柱が乗
った形の細長いベルクフリートがあります。

 古くは7世紀頃にこの地に城があったとされていますが,現在残る一番古い部
分は12世紀のもので,ロマネスク様式のベルクフリートです。
 1135年,グリューニンゲンの伯爵がエプシュタイン家出身のマインツ司教にブ
ラウバッハの半分を贈り,それ以後1283年までエプシュタイン家の所有になりま
した。当時は他のライン川の城と同様にライン川の通関として使用され,領主の
重要な収入源となっていました。
 エプシュタイン家の娘がカッツェネルンボーゲンの伯爵と結婚し,1283年から
1479年までカッツェネルンボーゲン家の所有となります。今の城の3/4はカッツ
ェネルンボーゲンの時代に建てられたもので,ゴシック様式の建築です。
 1437年に城の礼拝堂がザンクト・マルクスと名付けられました。この名前から
派生して,1571年から城全体を指してマルクスブルクと呼ぶようになりました。
それ以前はブルーバッハ城と言いました。
 1479年に,カッツェネルンボーゲン家の娘がヘッセン方伯と結婚していたこと
から,ヘッセン方伯家がここを相続しました。
 シュマールカルディッシュの戦いの時,マルクスブルクでも戦闘の準備が行わ
れる等しました。この時が一番の城の危機だったようです。
 三十年戦争の時は,農民達の避難場所となりました。いろいろな軍隊が通過し
たり,いろいろと騒々しかったようです。
 1643年,ペストや悪天候等による困窮から,街の抵当に入れられました。その
頃にはもう,火器の発達によりブルクの必要性は無くなり,居住性もあまり良く
ないので領主は麓のフィリップスブルクで仕事をするようになっていました。マ
ルクスブルクは要塞として,稜堡が増設されます。
 1706年,火災により大きな被害を受けます。
 1803年,街は後のナッサウ公爵領に組入れられます。城は牢獄として使用され
ました。
 1866年,ナッサウと一緒にプロイセンに組込まれます。一時は放置されそうに
なりましたが,“一度も破壊されていない唯一のラインの城”と皇太子の目に留
まります。
 1899年,ブルク研究者のエプハルト教授が中心となってドイツ城協会を設立。
城を修繕,部分によっては復元しました。以後,城は協会が直接管理しています。
 第2次世界大戦により,ベルクフリートと砲台が一部被害を受けました。


開館時間
 イースター〜10月:10時〜17時 ガイドツアーは殆ど間を開けず出発
 11月〜イースター前:11時〜16時 ガイドツアーは1時間毎
 12月24日〜12月31日まで休館
  城内の見学は英語またはドイツ語のガイドツアーのみですが,簡単な日本語
 のパンフをくれます。

マルクスブルク&ドイツ城協会の公式サイト
 http://www.deutsche-burgen.org/
 ドイツ語


●城伝説

 エプシュタイン家にはエリザベートという名の類稀なる美しい娘がおりました。
年頃になったエリザベートはジークベルト・フォン・ラーンエックと恋をして,
結婚の準備が進められておりました。
 ところが,皇帝ルドルフ・フォン・ハプスブルクはボヘミアとの戦争の為に封
建領主や騎士たちを召集します。愛する二人は引き裂かれ,ジークベルトは戦場
に向かうことになります。戦いは長引き,皇帝軍の勝利で終わりましたが,ジー
クベルトは帰ってくることなく行方不明となりました。彼女は悲しみに暮れます。
 1年後,黒い甲冑を身に纏った騎士がエプシュタイン家を訪れます。ロックス・
フォン・アンデックスと名乗るその男は,ジークベルトの従兄弟で,ジークベル
トの遺産を相続したばかりでなく,エリザベートをも欲しがりました。
 しかし彼女は彼の欲望に煮え滾ったその目と横柄な態度に心を開くことがあり
ませんでした。彼女は城のお抱え修道士マルクースにその心中を告白します。
 エリザベートは父からの勧めもあって,心ならずもその黒騎士との結婚を決め,
結婚式の日取りまで決まってしまいました。
 結婚式前夜,城では客人たちがドンちゃん騒ぎをしている中,エリザベートの
告白を受けたマルクースは城の礼拝堂で無力な自分を嘆き,エリザベートの真実
の愛と幸せを心から神に祈っていました。
 すると突然礼拝堂の中が明るく輝き,福音が現れました。彼は現れた福音に,
悪を打ち負かし乙女を救いたいという自分の心情を告白します。
 修道士マルクースは花婿のロックスを十字架で刺し,地獄に落ちろと呪文を3
度唱え,岩床に踏みつけました。その時,地面に亀裂が生じ,花嫁と客人は恐怖
を感じたそうです。
 その後,エリザベートは2回目の悲劇から立ち直ることなく修道院に入り,程
なくして亡くなりました。しかし城の方は修道士マルクースを称え,後にマルク
スブルクと呼ばれるようになりました。


●超手短探訪記

 ここは3回行きました。1回目はクリスマスの時に行って,閉まってた(クリ
スマスに行くバカ)。2回目は,ドイツ語はもちろんのこと,見学の仕方も分か
らなくて券すら買えなかった(-_-;)。3度目の正直でやっと見学出来たです。
 で,その3度目は…,クゥ〜(T^T)。たまたま当たったガイドが大外れだっ
た(話がヘタクソ)。他のグループは…,楽しそう。これは運だ,仕方が無い。
 中世の窓ガラスはオリジナルか複製か?ゲルマニアの時代からの兵士の展示は
武器防具の変遷が分かって面白いけど,マネキンが怖いぞ。中世の鍛冶屋を復元
したものもあったな。台所の展示は分かりやすく,塩入れの他,水の気化熱を利
用した冷蔵庫なんていう珍しいものもありました。
 どこをどう通って案内されて来たのか,未だによく分からん(迷路みたい)。


○基本用語ミニミニ解説

 ブルク(Burg)
    城砦。中世騎士の時代に主に建てられた,軍事機能に重きを置いた城。居住
    性に乏しい。

 ベルクフリート(Bergfried)
    塔。城を特徴付ける基本構造の一つ。ブルクの最小単位。よく天守とか望楼
  とか訳されている。入り口は地上数メートルの所にあり,昔は梯子で登った。


○あとがき

 記念すべき第1号は,やはり城協会本部からと,マルクスブルクから始めまし
た。有名無名問わず,いろいろ紹介して行きたいと思います。資料の手に入りや
すさから,近場の城に偏るかも(^-^;)。マイナーばかりになったりして(汗;)。

 マルクスブルクで購入した数冊の本を元に書いたのですが,本によって内容が
微妙に違う。ある本は昔はブラウバッハ城と呼ばれていて,マルクスブルクと呼
ばれるようになったのは18世紀以降なんて書いてあったり,グリューニンゲン伯
爵じゃなくて,ブラウバッハ伯爵となっていたり。本当はどうなんだ?とりあえ
ず城でもらった日本語の簡単な案内パンフに記述されている方を選択させていた
だきました。


次号予定は,ローレライ近くの猫城。
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    発行人:ぺんた
    サイト:http://burgen.hoops.ne.jp/
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