城伯(Burggraf)

 ラテン語で表現すると,praefectus urbis または burggravius と言う。
 後に都市に発展する大きなブルク(Burg)で法律執行の職に就いていたのは,伯爵(Graf)位の貴族だった。ゆえに城伯(Burggraf)と呼ばれるようになった。

 中世最盛期におけるこの役職は,帝国のブルクとその周辺地域の管理であり,狭くはブルク支配者,または都市支配者だった。

 城伯として有名な家系に,ホーエンツォレルン(Hohenzollern)家がある。この家系は1191年にニュルンベルク(Nürnberg)の城伯になったのをきっかけとして,領地を拡大。1415年にブランデンブルク辺境伯(Markgraf Brandenburg)の地位を取得し,最終的にプロイセン国王,ドイツ皇帝となったのだ。

 防御機能しか持たない地方の中世ブルクの命令権限は,一時的にせよ城伯と呼ばれていた。自由民下級貴族を雇っている貴族が,名前の要素としてこの役職名称を進んで受け入れていた。

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