ミニステリアーレ
(Ministeriale,Ministerialität)

 カロリング朝,メロヴィング朝からすでにその身分は見られた。王に仕えた従者で,軍事的,行政的な仕事をしていた隷属的な人たちである。貧者もいれば富者もいる,騎士になれた不自由民。
 隷属的ではあるが騎士になることができたという点で,自由民の富裕農民に優越することはできたが,富裕農民からは,貧しいミニステリアーレは哀れみと軽蔑の目でしばしばみられていた。

 10世紀から11世紀にかけて,隷属的な要素を残しつつも彼らの地位は向上した。封建領主たちは土地や都市を管理するのにミニステリアーレを利用していた。

 彼らは主君に奉仕することにより,法律に基づいて主君から采邑をもらって生活していたが,勤務態度が悪ければ采邑を取り上げられたりしていた。また結婚する際にも主君の承認が必要だった。

 12世紀には采邑を封土という形で与えられるようになり,封建制度の階級の中に汲み入れられるようになった。それでもまだ隷属的な身分ではあったが,自由騎士との距離は狭まっていた。

 帝国ミニステリアーレ(Reichsministerialen)はドイツ国王や皇帝に仕え,帝国領土を各種さまざまな役職に就いて管理した。
 特にシュタウフェン朝時代の皇帝はイタリア政策に翻弄しており,彼らに重要な職務を与えていた。

 隷属的要素は中世後期になってようやく消え,下級貴族となっていった。

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