ローテンブルク城跡地(Burgstätte Rothenburg)
970年頃
ローテンブルク家のグラーフェンブルク(Grafenburg)がここに建てられる。
1108年
ローテンブルク家が断絶し,コームブルク修道院に寄進された。
1116年
皇帝ハインリッヒ5世(Heinrich V.)は甥のコンラート・フォン・シュヴァーベン(Konrad von Schwaben)に封土として与える。このコンラートは後にドイツ国王コンラート3世になる。
1152年
王位は甥のフリードリッヒ1世赤髭王(Friedrich I. Barbarossa)が引き継ぐ。
1157年
皇帝ハインリッヒ5世の息子,フリードリッヒは騎士叙任式を受け,ザクセン公ハインリッヒ獅子(Heinrich der Löwe)の娘と結婚。
1167年
フリードリッヒはイタリア遠征中に死去。赤髭王が遺産を相続。
13世紀
シュタウフェン家の断絶と共に,城は放棄された。
1274年
都市ローテンブルクは帝国自由都市となる。
1356年
ドイツにしては珍しく地震があり,城と都市は甚大な被害を受けた。すでに無人となっていた城の石材等は,都市の再建に利用された。

こうして城は姿を消した。
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