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プファルツグラーフェンシュタイン城
(Zollburg Pfalzgrafenstein)
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お城の写真だよん
- 13世紀前半
- シュタウフェン朝のミニステリアーレの家系であるファルケンシュタイン・ミュンツェンベルク家の所有地だった。
- 1277年
- フィリップ二世・フォン・ファルケンシュタイン・ミュンツェンベルクはカウプとカウプのブルクと関税権をプファルツ伯ルードヴィッヒ二世(ヴィッテルスバッハ家)に売却。この売却以降,ここは歴史的にバッハラッハと深い関係になり,19世紀初頭までヴィッテルスバッハ家のものになる。
- 1327年春
- プファルツグラーフェンシュタインを建てて,通行税を取り立てるようになる。6階建ての5角形の塔。入り口は3階にあった。尚,このころの航路は城のカウプ側のみだった。
- 1327年6月23日
- 税金を取り立てるようになったため,教皇ヨハン22世と国王ルードヴィッヒ・デア・バイヤーが対立。教皇は国王ルードヴィッヒを破門した。
- 1338〜1342年頃
- しかしそのような抗議は役に立たず,ルードヴィッヒは更にブルクを拡張,強化していった。塔の周りに平均12mで歩廊付きの防御機能がある環状城壁を造った。
- 1754年12月20日,午前9時
- プファルツグラーフェンシュタインのバッハラッハ側より火災が発生。職人,市民や兵士によって数時間後に鎮火された。
- 1755年
- 再建作業がプファルツ選定候の下に行われた。
- ナポレオン解放戦争時
- ブリュヒャー・フォン・ヴァールシュタットは1814年の正月の夜に小船を用意し,2日〜5日にかけてその船で即席の浮き橋を造らせ,シュレージエン陸軍兵士83800人と312本の大砲と共にライン超えをした。
- 1803年
- プファルツはナッサウ公国に属していた。
- 1866年
- プロイセン王国に属していた。
- 1867年
- 関税業務終了。
- 1946年
- ラインラント・プファルツ州の管轄下にになる。
プファルツグラーフェンシュタイン城は,マルクスブルクと同様に,戦争行為による損傷や破壊を受けていないライン川の城です。
- 所在地
- Burg Pfalzgrafenstein 56349 Kaub
Tel. 0172-2622800
- ガイド申し込み
- Tel./Fax. 0180- 5221360
- 開館時間
- 聖週間〜9月30日は10:00〜13:00と14:00〜18:00
10月1日〜11月30日は日曜日のみ10:00〜13:00と14:00〜17:00
1月1日〜イースター前の日曜日は日曜日のみ10:00〜13:00と14:00〜17:00
- 休館日
- 月曜日と12月
島へ行く船はカウプ側から30分ごとに出ています。(城しかない島に行くんだから,城の入場料と一緒にしてしまえば良いのに,なぜ城の入場料と船賃が別なのかと,いつも疑問に思う。)