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                                13-02-02
        ドイツの古城    〜歴史の旅
       【第4号  ブロイベルク城】
                       http://burgen.hoops.ne.jp/
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○はじめに

 みなさんこんにちは,発行人のぺんたです。みなさんは,ドイツに一体いくつ
の城があると思いますか。答えは,沢山です。1万とも2万とも言われています。
 どの城にもその城の歩んだ歴史がありますので,それをみなさんに紹介します。

 第4号は,ダルムシュタットの南からハイデルベルク北部辺りにかけて広がる
オーデンヴァルトにある山城,ブロイベルク城です。この城にはユースホステル
とちょっとしたレストランがあります。


●ブロイベルク城(Burg Breuberg)

 1150年(本では1189年)にライツェ・フォン・リュッツェルバッハがフルダ修
道院領のオーデンヴァルトの北部を守備する役職に就いたのが,最も古い記録で
す。
 城主も3代目になった1229年にブロイベルクと呼ばれるようになります。
 フルダの封土として維持しつつ,シュタウフェン朝の役人の地位も手に入れま
すが,1323年に家系が途絶えてしまいます。3人の娘婿たちによって分割相続さ
れ,ここはルドルフ・フォン・ヴェルトハイム伯爵のものになります。
 その後,周辺地域の領主立ちと幾度となく所有の交換が行われ,15世紀始めに
はエプシュタイン家のものになっていました。
 1433年に一部を抵当に入れますが,1497年にミヒァエル2世・フォン・ウェル
トハイムが買い戻します。そして彼は城の防御力を強化し,政庁機関として改築
します。この城の紋章は彼のものです。
 1556年にヴェルトハイム家が途絶え,エアバッハ伯爵家とレーヴェンシュタイ
ン伯爵家に分割相続されます。
 1574年にレーヴェンシュタイン家の当主が亡くなると,相続争いが起こり,
1598年まで続きました。
 1806年までエアバッハ家とレーヴェンシュタイン家が所有していましたが,ヘ
ッセン・ダルムシュタットに組み入れられます。城はまだ役所として機能してい
ました。
 19世紀に30年ほど管理をしなかった時期があり,使用されない建物は荒廃し,
一部壊れました。
 1919年にエアバッハ・シェーンベルク侯爵がケルンブルクをユースホステルに
し,1942年にドイツ帝国ユースホステル連合に売却します。
 戦後,1949年にヘッセン州のものになります。

 この城で起こった戦争と言うのはまったく知られておらず,30年戦争でもまっ
たく被害を受けませんでした。管理されていなかった時期の一部崩壊と,第二次
大戦の終わり頃にここで雇われた外国人労働者による損害のみです。


所在地:
 Burg Breuberg, 64747 Breuberg

博物館の開館時間
 3月〜10月。冬季は要連絡。
 平日は13:00〜17:00。日曜・祝日は10:00〜12:00,13:00〜17:00。
 火曜日休館。
 Tel. 06165-1309

ユースホステル
 7:00〜10:00,17:00〜22:00。ただし日曜日は〜14:00。
 12月24日〜26日はお休み
 Tel. 06165-3403,Fax. 06165-6469


公式サイト
http://www.burg-breuberg.de/
ドイツ語
写真が沢山あるのが良いです。見取り図もあります。



●ブルク(Burg)とは…その1(何はともあれまずは導入)

 「城」を意味する言葉は,英語でキャッスル,フランス語でシャトーと一語し
かありませんが,ドイツ語の場合は「ブルク」と「シュロス」に分かれます。前
者は城砦で後者は城館になります。また更に違うニュアンスで「レジデンツ」と
言う言葉もありますが,こちらは宮殿です。

 ブルクは防御施設としての側面が強く,当然のことながら居住性はあまり良く
ありません。施設の大小や時代,立地条件,経済状況により構成要素も変わって
きますが,塔ことベルクフリート,城壁,歩廊,矢狭間,城門,落し格子,跳ね
橋,堀などを持ちます。最小単位はベルクフリート,もしくは城壁(都市)です。

 防御施設ですので,敵から攻められにくい山,池や湖に浮かぶ島,川の中州を
利用したりしました。守りに有利な地形が無いところは,掘りを設けたりしまし
た。

 軍事施設と同時に王侯の宮廷でもあり,王侯や騎士達の安全な住居であり,権
威の象徴でありました。王侯たちは立派な城を築いたのでしょうが,下級貴族の
騎士達はベルクフリートだけの城のこともありまた。弱小騎士のベルクフリート
だけの小さなブルクでも,騎士の家族が安全に生活できる場所であり,木製あば
ら家住まいの庶民から見れば石造りの建物はそれだけで権威の象徴。その差は大
きく,領民ににらみを効かせる力は十分ありました。

 ブルクの機能としては王侯の宮廷や軍事施設の他,ライン川沿岸のプファルツ
グラーフェンシュタイン城に代表されるように,通関としての役割を持つものも
ありました。主要街道には街道保護の目的で建設し,ミニステリアーレ(奴隷騎
士)を配置したブルクも数多くありました。

 ついでに,○×ブルクという貴族の家系名はブルク名に由来することも多く
(例:ハプスブルク,ルクセンブルク),△□ブルクという名の司教都市(例:
アウグスブルク,レーゲンスブルク)は城壁で都市を囲った城砦都市であったこ
とからついています。


○あとがき

 手持ちの本を参考にある程度書いてから,いざ公式サイトに行ってみたら,本
に書いてある内容とサイトに書いてある内容が微妙に違う。町の観光案内サイト
に行ってみたら,これまた微妙に違う。ひぇ〜,どうしてくれよう(T-T)。と
いうわけで,違っている部分は公式サイトの記述の方を採用させていただきまし
た。大筋はだいたいどれも同じなんだけど,数字と名前がなぜ違う。
 城の周りで戦争が起こらなくて,戦争による被害を受けていないって,すごい
ことですね。町を管理する城としては機能していたけど,軍事拠点としては全然
重要でなかったから戦争が起こらなかったということか?襲われるほど魅力が無
かったということか?どっちにしろ,なんちゅう平和な城だ。平和に越したこと
はないが。
 そんな昔のままの姿を留めた城が古城ユースホステルになっていて泊まれると
いうのも良いですね(私は古城ホテルにも古城ユースホステルにもなぜか未だ泊
まったことがない)。問題は,交通の便か。


次号予定は,ロマンティック街道のヴァラーシュタイン城。
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  発行人:ぺんた
  サイト:http://burgen.hoops.ne.jp/
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