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                                02-08-02
        ドイツの古城    〜歴史の旅
       【第9号  マリエンベルク要塞】
                       http://burgen.hoops.ne.jp/
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○はじめに

 みなさんこんにちは,発行人のぺんたです。みなさんは,ドイツに一体いくつ
の城があると思いますか。答えは,沢山です。1万とも2万とも言われています。
 どの城にもその城の歩んだ歴史がありますので,それをみなさんに紹介します。

 第9号は,ロマンティック街道はヴュルツブルクにあるマリエンベルク要塞で
す。山の上の目立つ場所に立っているので,アウトバーンを走っていても見るこ
とが出きます。ヨーロッパバスも通るので,見たことのある人も多いのではない
かと思います。


●マリエンベルク要塞(Festung Marienberg)

 紀元前1000年の後期青銅器時代。ここには既にケルトの防御施設がありました。
施設内に神殿もあったと推定されています。ギリシャとの交易が盛んであったと
こが,発掘調査により分かっています。
 ゲルマン民族の移動により,この地はフランケン族に征服されます。メロヴィ
ング朝の新しい支配者が置かれました。
 686年頃,キリアン司教とお付きのアイルランド修道士たちが布教に来ますが,
領主の重婚を認めなかったために彼らは翌年殺されてしまいます。(旧マイン橋
に聖キリアンの像が立っています。)
 704年5月にヘタン二世は聖母マリアのために山の上に礼拝堂を建てます。そこ
から“Marienberg”と呼ばれるようになったのだろうと言われています。
 741年に聖ボニファチウスがブルクハルトを司教に任命します。それ以来,司
教座としてこの地域のキリスト文化の中心地となります。司教の権限は次第にフ
ランケンの司教としてだけなく,領主としての性格も帯びるようになっていきま
した。
 1168年,皇帝フリードリッヒ一世赤髭王は,ヴュルツブルク司教の性格が事実
上領主のようになっていたのを,領主と同等の権限と正式に認めました。
 1200年頃,コンラート・フォン・クヴェアフルト司教とヘルマン・フォン・ロ
プデブルク司教により,パラスとベルクフリートが建設されます。その後200年
は,自治を望む都市とよく争っていたので,城はより強固にされていき,さまざ
まな反乱を鎮圧していきました。
 16世紀初頭,都市ヴュルツブルクとの抗争は続いていました。司教ローレンツ・
フォン・ビブラは東翼の中世のパラスをルネッサンス様式の領主館に改築し,他
にも南翼等を改築し,シュロスブルクとなります。
 1572年の火災により領主館の司教の居住部屋とと太陽塔を焼失。すぐに再建さ
れます。
 1604年,教会の改築が終わります。バロック様式。
 17世紀前半,火器の発達に合わせて,領主司教ユリウス・エヒター・フォン・
メスペルブルンにより稜堡が造られ,中世のブルクから要塞へと姿を変えます。
 1634年10月16日(三十年戦争)。スウェーデンのグスタフ・アドルフの軍の攻
撃を受け,略奪を受けます。
 1648年,要塞として完成させ,帝国要塞となります。
 16世紀終わり,三十年戦争によって破壊されたところは,ヨハン・フィリップ・
フォン・グライフェンクラウによってバロック様式のシュロスに変わりました。
 1701年,ヴュルツブルク領主司教は都市のレジテンツへと移り住んみます。シ
ュロスは領主司教の居城としては使用されなくなりましたが,城郭として使用さ
れ続けました。
 ナポレオン戦争時,オーストリア,フランス,バイエルンと,要塞の所有者が
よく代ります。この戦争によりシュロスの古い部分が壊れました。
 1840年,火災によりミヒァエル塔とフォアブルクの東側の一部を焼失。再建し
ます。
 1936年から1939年にかけて,ルドルフ・エステラーが城の1200年に及ぶ歴史を
踏まえて要塞を再建していきます。
 1945年3月16日(第二次世界大戦)。領主館,南翼,北翼の東側半分を焼失。
フォアブルクと兵舎も被害を受けます。
 1946年,城の再建が開始されます。1990年の秋には領主館も終了し,博物館と
して一般公開されました。


所在地
 Festung Marienberg 239 97082 Wuerzburg
 Tel. 0931-43838

開館時間
 4月〜10月,10:00〜18:00
 11月〜3月,10:00〜16:00

領主館博物館の開館時間
 4月〜10月,10:00〜16:30
 11月〜3月,10:00〜15:30

ガイドツアー
 土曜日,日曜日,祝日は10:00,11:00,13:00,14:00,15:00,16:00
 火曜日,金曜日は11:00,14:00,15:00

休館日
 月曜日,1月1日,Faschingsdienstag,12月24日,12月25日,12月31日

城主
 Verwaltung der Staatlichen Schloesser, Gaerten und Seen


●超手短探訪記

 ここは2回行きました。1回目は行き方が分からず,麓の教会裏の道からブド
ウ畑を延々と歩いて登って行きました。それも30℃を超える快晴の日。大変だけ
ど,徐々に高度を上げながら街と城の景色を楽しむのにはいいコースだと思いま
す。2回目は駅から出ているバス。

 城の中庭には井戸があるけど,井戸の深さはなんと100m以上。今でも水がある。
今まで行った城の中では今のところ最深。すごい。

 領主館博物館に展示されている司教が使用した道具類や服は,当たり前だけど
他の世俗領主の城ではお目にかかれないものばかりです。これらを身につけた所
を想像すると,まるでR.P.G.ゲームに出てくる僧侶(^-^;)。ちょっと豪華だけ
ど。

 マインフランケン博物館も宗教関係の展示品がたくさん。ケルト時代から紹介
したものがあり,そんな時代から人が住みついていたなんて知らなくて吃驚。



○基本用語
 ブルク(Burg)
    城砦。中世騎士の時代に主に建てられた,軍事機能に重きを置いた城。居住
    性に乏しい。

 シュロス(Schloss)
    城館。騎士の時代も終わりになり,軍事機能よりも居住性が重要視されるよ
  うになった城。

 ベルクフリート(Bergfried)
    塔。城を特徴付ける基本構造の一つ。時に天守と訳されている。入り口は地
  上数メートルの所にある

 パラス(Palas)
  本館とも本丸とも訳される建物。


○あとがき

 ついにスキャナーを買いました。プリンターより稼動率低いかもしれないけど。
日本メーカーのもので,ドライバーはメーカーHPより日本語版をダウンロード。
 マウスで絵を描くより,紙に描いてスキャナーで取り込んだ方が楽かな〜,と。
でもマウスで描けない奴が紙の上にも描けるわけないじゃん,と言う突っ込みが
……(;_;)。
 城の構造や各部名称を説明する絵とか,攻城兵器が描きたいんだよ〜!!いつ
かきっと描いてやる!!


次号予定は世界遺産,ヴァルトブルク。
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    発行人:ぺんた
    サイト:http://burgen.hoops.ne.jp/
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