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21-08-02
ドイツの古城 〜歴史の旅
【第10号 ヴァルトブルク】
http://burgen.hoops.ne.jp/
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○はじめに
みなさんこんにちは,発行人のぺんたです。みなさんは,ドイツに一体いくつ
の城があると思いますか。1万とも2万とも言われています。
どの城にもその城の歩んだ歴史がありますので,それをみなさんに紹介します。
第10号は,ユネスコ世界文化遺産のヴァルトブルクです。ゲーテ街道にある旧
東ドイツのアイゼナッハにある城。ここはヴァーグナーの歌劇『タンホイザー』
の舞台,マルチン・ルターが聖書を翻訳した場所,バイエルン王ルードヴィッヒ
二世がここを真似て新白鳥城を建てたことで有名です。
●ヴァルトブルク(Wartburg)
1040年頃にチューリンゲンの森の小さな開墾値の支配者だった髭のルードヴィ
ッヒの子孫,ルードヴィッヒ・デア・シュプリンガーがヴァルトブルクを設立。
中世後期の文学によれば,ヴァルトブルクは1067年に設立されたと言われていま
すが,歴史家によれば1073年に設立されたと見られています。
1080年1月,ザクセン戦争。国王ハインリッヒ四世派と反ハインリッヒ派諸侯
との争い。文献にヴァルトブルクの名が出てくる始めての出来事。
1131年,国王ロタール・フォン・ズュップッリンゲンブルクにより,方伯の位
を授かります。
鉄のルードヴィッヒ二世の妻が皇帝フリードリッヒ一世の妹であったことから,
帝国内で大きな権力を持つと同時に十字軍に参加しなければならなくなりました。
1155年,パラスの建築が始まります。
1206年,ヘルマン一世の時代に伝説の歌合戦が行われます。(ヴァーグナーの
『タンホイザー』設定とは違う。)
1211年に4歳のハンガリー王女エリザベート(後の聖エリザベート)がルード
ヴィッヒ四世・フォン・チューリンゲンの婚約者としてヴァルトブルクに来ます。
1221年に正式に結婚。しかし1227年に夫のルードヴィッヒ四世が十字軍の遠征途
中,病でなくなり,翌年彼女はマールブルク城へ移ります。ルードヴィッヒ4世
の時代にパラスが完成します。
1246年,ハインリッヒ・ラスペ四世が皇帝フリードリッヒ2世の対立国王に立
ちます。(僅か9ヶ月)
1247年の最後のチューリンゲン方伯であるハインリッヒ・ラスペの死後,チュ
ーリンゲン継承戦争が起こります。その争いは1263年まで続き,ヘッセンとチュ
ーリンゲンが分かれます。
大空位時代,上級貴族たちは権力闘争を繰り返し,アイゼナッハとヴァルトブ
ルクはヴェッティナー家のものになります。以後650年はヴェッティナー家の所
有です。
1265年にチューリンゲンとザクセンが分かれます。
1318年,落雷により炎上。その後5年で増築&改築。この中世後期がヴァルト
ブルクの主な建築期になります。
15世紀,ブルクにはもう居城としての意義はなくなり,周囲に木組みの建物が
建てられて行きます。
1521年5月4日に皇帝カール五世のヴォルムス帝国議会により帝国追放刑を受
けたマルチン・ルターを,ヴァルトブルクで保護します。ルターはヴァルトブル
クで聖書を翻訳します。
1777年,文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが滞在し,ヴァルトブ
ルクを評価します。
1817年10月18日,ブルシェンシャフトの学生らが宗教改革300年,ライプチッ
ヒ会戦4周年を記念して祝典を開きます。
1838年から1890年に,カール・アレクサンダー大公によりチューリンゲン発祥
の城として再建されます。
1922年,ヴァルトブルク財団が設立され,以後財団が城と収集品保護管理,城
の建築と歴史を研究します。
1967年,宗教改革450年,ブルシェンシャフト150年を記念して,東ドイツの国
家祝典行事が行われます。
1999年12月,ユネスコ世界文化遺産の指定されます。
公式サイト
http://www.wartburg-eisenach.de/
ドイツ語,英語?,フランス語?
以前は入口のページで言語の選択が出来たのに,現在はJavaScriptで見る人
のPCの言語の優先順位設定を見て飛ばされるようだ。日本語がないのは確か。
開館時間(年中無休)
3月〜12月は8:30〜17:00
11月〜2月は9:00〜15:30
パラスはガイドツアーで見学。その後の博物館は自由見学。
所在地
Wartburg-Stiftung Auf der Wartburg 99817 Eisenach
Tel.03691-2500 Fax.03691-203342
城主
ヴァルトブルク財団
ホテルの公式サイト
http://www.wartburghotel.de/
一応古城ホテルになるのかな?城壁のすぐ外の建物になってしまうけど。
●超手短探訪記
ガイドツアー開始直後,ガイドさんがいつものように見学における注意事項な
どを説明します。その時,
「エングリッシュ,フランツォージッシュ,…(中略)…,ヒネージッシュ,ヤ
パーニッシュ,コリアーニッシュ,…。」
とガイドさんが言った時に手を挙げて,
「ヤパーニッシュ!!」
と言えば,日本語のガイドパンフをもらえます。殆どの言語が準備されているよ
うに思います。
婦人の間は壁の上部から天井にかけて,タイルで聖エリザベートの生涯をモザ
イク画。モザイク画そのものは20世紀初頭に皇帝ヴィルヘルム二世によりつくら
れたものらしい。
歌合戦の間では(タンホイザーの方の)歌合戦の様子を描いたタペストリー。
舞台と家具は,どっかで見たことあるような(こっちがオリジナルだけどね。笑)。
説明文はドイツ文字してて読みにくい。
方伯の間にはヴァルトブルクの名の由来伝説の壁絵。
ガイドツアーの最後には祝宴の大広間。やっぱりどっかでみたことあるような
^-^;(こっちがオリジナル)。
ガイドツアーが終わった後,その先の博物館は自由見学。お宝すご過ぎ。
その後にルターが聖書をドイツ語に翻訳したと言われる部屋を見て終わり。ル
ターの部屋は「フーン」ていう感じだったな。
歌合戦の間も見たことだしうちに帰ってから,早速『タンホイザー』でも聞こ
うかとCDを取り出すと,ジャケットがヴァルトブルクであったことに気がついた。
○基本用語
ブルク(Burg)
城砦。中世騎士の時代に主に建てられた,軍事機能に重きを置いた城。居住
性に乏しい。
パラス(Palas)
本館とも本丸とも訳される建物。
○あとがき
この城を訪れる前と後にシュヴァーンガウのかの有名な新白鳥城に行きました。
特にヴァルトブルクに行った後では,新白鳥城がとてつもなくショボく見えるこ
と見えること(笑)。やっぱり新白鳥城はしょせんディズニーの城もどきだと感
じましたね。深みと重みが全然違いますよ。
この城は外国人観光客もそれなりにいたが,とにかくドイツ人観光客の数がす
ごかった。ドイツ史との関わり方も関係あるのかな?
ここ最近『モルダウの流れ』が頭の中をグルグルと流れている。洪水が起こっ
ているせいか?でもこんな洪水を謳った曲じゃないっつうに。
エルベやドナウとはうって変わって,ラインやマインやネッカーはいつも通り
の流れ。多分モーゼルも。
次号予定,トリフェルス城。
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発行人:ぺんた
サイト:http://burgen.hoops.ne.jp/
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