シュタウフェン朝時代後期,ドイツ語圏における騎士の宮廷文化である。
“mine”とは,中世ドイツ語で「愛(Liebe)」を意味している。“sang”は歌。
騎士道では主君の奥方相手に貴婦人崇拝を余儀なくされた。騎士達は貴婦人たちの関心を惹くためにトーナメントや戦争で活躍するほか,彼女の名を取り入れた歌(と言うより詩)が唄われた。
十字軍の遠征により東洋の抒情詩の影響を受け,ミンネザンクの形が出来上がっていった。
冒険の歌と愛の歌が11世紀の中頃に唄われた。
1180年ごろが開花期で,有名なミンネゼンガー(
シュタウフェン朝時代はミンネザンク抜きには考えられず,ハインリッヒ6世(Heinrich VI)の周りにミンネゼンガー達が取り巻いていたばかりか,自ら詩を書きもした。
シュタウフェン朝も終わりになると,ミンネザンクも終わりに近づいた。1250年,ウルリッヒ・フォン・リヒテンシュタイン(Urlich von Lichtenstein)は婦人崇拝とこの騎士文化の衰退を嘆いている。
次第に唄い手は騎士階級から市民階級に移っていき,ミンネザンクは消滅した。