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ハイデルベルク城(Schloss Heidelberg)

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ハイデルベルクのお城だよ ハイデルベルクのお城だよ ハイデルベルクのお城だよ ハイデルベルクのお城だよ

12世紀
ヴォルムス司教(Bischof von Worms)が小さなブルク・ハイデルベルクと村をつくった。
1155
フリードリッヒ一世赤髭王(Friedrich I. Barbarossa)の異母弟であるコンラート・フォン・ホーエンシュタウフェン(Konrad von Hohenstaufen)が叔父のヘルマン・フォン・シュタールエック(Hermann von Stahleck)と叔母のゲルトルート・フォン・シュヴァーベン(Gertrud von Schwaben)の所有からラインフランケン地域を受け継ぐ。たぶんここには既にブルクが建っていたと考えられている。
1214
ルードヴィッヒ一世・フォン・ヴィッテルスバッハ(Ludwich I. von Wittelsbach)がシュタウフェン家の所有を受け継ぐ。
1225
ハイデルベルクのブルクの名を文献にはっきりと確認できる。
1294
オーバーバイエルン公ルードヴィッヒ二世(Herzog Ludwig II. von Oberbyern)から家系が分岐し,ライン地域をプファルツ伯ルドルフ一世(Pfalzgraf Rudolf I.)が受け継ぐ。国王アドルフ・フォン・ナッサウ(Adolf von Nassau)の娘と結婚,兄のルードヴィイッヒ・デア・バイヤー(Ludwig der Bayer)は国王になる。
1303
この頃の文献によると,ハイデルベルクにはブルクが2つあったことが分かっている。下ブルク(Unterburg)現在城がある場所。上ブルク(Oberburg)は僅かに跡が残っているのみ。まだ城は殆どの部分が木製だった。
1329
ルドルフ二世(Rudolf II.)がプファルツ選帝候に昇格。
1386
ルプレヒト一世(Rubrecht I.)がハイデルベルク大学を設立。二代目プファルツ選帝候。
1400
ルプレヒト三世(Rubrecht III.)がドイツ国王になる。二重環状城壁,堀,塔を持つ城を完成させる。今の城の原型がこのときにほぼ出来あがる。彼と王妃の姿は聖霊教会(Heiliggeistkirche)にある。
15〜16世紀
フリードリッヒ(Friedrich)とルードヴィッヒ五世(Ludwig V.),オットハインリッヒ(Ottheinrich)により,ブルクから要塞へと変遷する。谷側は強化され,山側に城門が設けられる。しかしその一方で芸術面にも力を入れ,居住部分はルネッサンスシュロスとなる。
1525年
農民戦争(Bauernkrieg)により城は要塞として有効に働き,多くの戦利品を得る。
1559
オットハインリッヒを最後にプファルツ選帝候家が途絶える。プファルツ・ジンメルン家(Pfalz-Simmern)のフリードリッヒ三世(Friedrich III.)が引き継ぐ。
1619
フリードリッヒ五世(Friedrich V.)がボヘミア国王に選ばれるが,ヴァイセンベルクの戦い(Schlacht am Weissen Berg)で皇帝軍に敗れる。在位僅か一年ゆえに冬王(Winterkönig)と呼ばれる。
三十年戦争
フリードリッヒ五世はプロテスタント派として戦う。城と町は大きな被害を受ける。
1649
フリードリッヒ五世の息子,カール・ルードヴィッヒ(Karl Ludwig)の代になり,城の修復が行われる。破壊された部分は以前よりもより良いものに改築された。
17世紀後半
カール・ルードヴィッヒの息子,カール二世(Karl II.)の代になると,隣国フランスの脅威があった。城をより強固なものにするために稜堡が設けられた。跡取となる子供がいなかったことから,後に起こる継承戦争を予想していたのかもしれない。
1685
カール二世が子供を残さずに死ぬと,ノイブルク系のフィリップ・ヴィルヘルム(Philipp Wilhelm)が引き継ぐが,婚姻関係から継承権を主張してきたフランス国王ルイ14世(Loui XIV.)が攻撃を開始し,プファルツ継承戦争が起こる。このとき皇帝軍はヴィーンからハンガリーでトルコ軍と戦っている。
1688,1689
フランス軍の計略により,町や村,城が破壊される。13500kgの火薬がハイデルベルク城の破壊に使用された。
1716
カール・フィリップ・フォン・デア・プファルツ(Karl Philipp von der Pfalz)は城の再建を考える。が,宗教の問題で町と対立し,マンハイムへ政庁を移す。その後も城は歴代所有者により再建が試みられ,一部が再建されていく。
1764
不運にも城に雷が落ち,フロードリッヒ館(Friedrichsbau),オットハインリッヒ館(Ottheinrichsbau)等を焼失する。これにより再建が断念される。
19世紀
ロマン主義運動により城の価値が見直され,城とその歴史が研究された。城を再建しようと言う意見もあったが,廃墟の姿のまま復元・維持しようということになった。史跡観光地となったのも,この頃からのようだ。
(両者の意見が存在したから,一部は再建されて,一部は廃墟のままなのかな?)

開館時間
8:00〜17:00
薬局博物館(Deutsches Apotheken-Museum)
開館時間
10:00〜17:30。
最終入場時刻は17:10ごろ
所在地
Deutsches Apotheken-Museum, Schlosshof 1 69117 Heidelberg
Tel. 06221-25880  Fax. 06221-181762
http://www.deutsches-apotheken-museum.de/
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