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マリエンベルク要塞(Festung Marienberg)

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マリエンベルク要塞だよ〜 マリエンベルク要塞だよ〜 ヴュルツブルクの城下町だよ〜

紀元前1000
後期青銅器時代。ケルトの防御施設があった。施設内に神殿もあったと推定されている。ギリシャとの交易が盛んであったとこが,発掘により分かっている。
ゲルマン民族の大移動〜メロヴィング朝時代
ゲルマン民族の移動によりこの地はフランケンに征服された。メロヴィング朝の新しい公爵が置かれた。
686年頃
キリアン(Kilian)司教とお付きのアイルランド修道士たちが布教に来るが,領主の重婚を認めなかったために翌年殺される。
704年5月
ヘタン二世(Hetan II.)公爵は聖母マリアのために山の上に礼拝堂を建てる。そこから“Marienberg”と呼ばれるようになったのだろうと言われている。
741
聖ボニファチウス(Bonifatius)が僧侶ブルクハルト(Burkhard)を司教に任じた。それ以来司教座としてキリスト文化の中心地となった。司教の権限は次第にフランケンの司教としてだけなく,領主としての性格も帯びるようになった。
1168
フリードリッヒ一世赤髭王(Friedrich I. Barbarossa)は,ヴュルツブルク司教の性格が事実上領主的になっていたのを,領主と同等の権限と正式に認めた。
1200年頃
コンラート・フォン・クヴェアフルト司教(Bischof Konrad von Querfurt)とヘルマン・フォン・ロプデブルク司教(Hermann von Lobdeburg)により,パラスとベルクフリートが建設される。その後200年は,自治を望む都市とよく争っていたので,城はより強固にされていった。
16世紀初頭
都市ヴュルツブルクとの抗争は続いていた。司教ローレンツ・フォン・ビブラ(Lorenz von Bibra)は東翼の中世のパラスをルネッサンス様式の領主館(Fürstenbau)に改築した。他にも南翼等を改築し,シュロスブルクとなった。
1572
火災により領主館の司教の居住部屋とと太陽塔(Sonnenturm)を焼失。再建される。
1604
教会の改築が終わる。バロック様式。
17世紀前半
領主司教ユリウス・エヒター・フォン・メスペルブルン(Julius Echter von Mespelbrunn)により稜堡が造られ,ブルクから要塞へと姿を変える。
1634.10.16
スウェーデンのグスタフ・アドルフ(Gustav Adolf)の軍の攻撃を受け,略奪を受ける。
1648
要塞として完成させ,帝国要塞となる。
16世紀終わり
三十年戦争によって破壊されたところは,ヨハン・フィリップ・フォン・グライフェンクラウ(Johann Philipp von Greiffenclau)によってバロック様式のシュロスに変わった。
1701
ヴュルツブルク領主司教は都市のレジテンツへと移り住んだ。シュロスは城郭として使用されつづけた。
ナポレオン戦争
オーストリア,フランス,バイエルンと,要塞の所有者がよく代った。シュロスの古い部分が壊れた。
1840
火災によりミヒァエル塔とフォアブルクの東側の一部を焼失。再建。
1936-1939
ルドルフ・エステラー(Rudolf Esterer)が1200年の歴史を踏まえて要塞を再建していく。
1945.3.16
領主館,南翼,北翼の東側半分を焼失。フォアブルクと兵舎も被害を受ける。
1946
再建が開始される。1990年の秋には領主館も終了し,博物館として公開される。

開館時間
4月〜10月,10:00〜18:00。
11月〜3月,10:00〜16:00。
ガイドツアー
土曜日,日曜日,祝日は10:00,11:00,13:00,14:00,15:00,16:00
火曜日,金曜日は11:00,14:00,15:00
休館日
月曜日,1月1日,Faschingsdienstag,12月24日,12月25日,12月31日。
所在地
Festung Marienberg 239 97082 Würzburg
Tel. 0931-43838
城主
Verwaltung der Staatlichen Schlösser, Gärten und Seen
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