アルテンブルク城(Schloss Altenburg)
鉄器時代
ここに避難ブルクがあったことが分かっている。後にソルブ人貴族が住む,直径30〜60メートルのブルクになった。
976
ブルクヴァルト(Burgward)の中心地となっていた。
1080
破壊される。
1180
皇帝フリードリッヒ1世赤髭王(Friedrich I. Barbarossa)はハインリッヒ獅子候(Fürsten Heinrich der Löwen)から取り上げ,オットー・フォン・ヴィッテルスバッハ(Otto von Wittelsbach)に封土として与える。
プライセンガウ(Pleißenbau)地域の中心地のライヒスブルク(Reichsburg)として完成させる。

国王や皇帝の滞在地として,少なくとも21回はここに滞在した記録が有る。城の管理は帝国ミニステリアーレに任せられた。
13世紀中期
初めて抵当に入れられ,マイセン辺境伯の手に渡る。
1328
城は正式にこの家のものになる。
1485
家系が分かれ,エルネスティナー(Ernestiner)家の所有になる。
1547-54
アルバーティナー(Albertiner)家の所有になる。
1603−1672
ザクセン・アルテンブルク(Sachsen-Altenburg)公爵の政庁としてシュロスに改築。
1672-1826
ザクセン・コーブルク&ゴータ(Sachsen-Coburg ung Gotha)家がここを支配した。
1826
ザクセン・アルテンブルク(Sachsen-Altenburg)家設立。1918年まで政庁として使用する。

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