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マールブルク城(Schloss Marburg)
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お城の写真だよん
ヘッセン史な城の歴史。
城の歴史を調べているのか,ヘッセン史を調べているのか,なんだか分からなくなった。(笑)
- 911
- コンラート(Konrad)がドイツ国王に選ばれる。しかしこの頃のことは殆ど何も分かっておらず,マールブルクの最も古い建築跡がコンラーディナー(Konradiner)のブルクと一致するが,これは仮説の域を出ないようだ。
- 10世紀
- コンラート二世(Konrad II.)により,ヴェルナー(Werner)伯爵が封土を与えられた。この時がヘッセン方伯領の始まりとされる。その支配地域は今のヘッセン州より遥かに広かった。この時代にマールブルクの城が建設されたとされている。
- 1121
- ヴェルナー家断絶。所領はギゾー(Giso)伯爵のものになるが,ギゾー家も翌年断絶してしまい,所領はチューリンゲン方伯のものになる。
- 1228
- チューリンゲン方伯未亡人のエリザベートが未亡人城主として住む。
- 1264
- ブラバント(Brabant)公爵と結婚していたエリザベートの娘ゾフィー(Sophie)がすべてを相続したわけではないが,所領を相続。ここにヘッセン方伯領が確立される。
- 1292
- ドイツ国王アドルフ・フォン・ナッサウ(Adolf von Nassau)が方伯を帝国侯爵(Reichsfürst)に格上げする
- 1308
- 官邸をカッセル(Kassel)に移動する。
- 1479
- カッツェネルンボーゲン(Katznelnbogen)伯爵領を婚姻関係から相続。ダルムシュタット(Darmstadt),ラインフェルス(Rheinfels)を手に入れる。
- 1526
- フィリップ寛大伯(Philipp der Großmütigen)は宗教改革を受け入れ,最初のプロテスタント系大学ことマールブルク大学を設立。
- 1547
- シュマールカルディッシュの戦い(Schmalkaldischen Krieg)の時方伯は捕まり,1552年までバイエルンに拘留された。
- 1567
- フィリップの死後,遺言に随って4人の息子に分割相続された。
- 1623
- ヘッセン・ダルムシュタットに(Hessen-Darmstadt)占拠される。
- 1645-1648
- 三十年戦争の終わり,ヘッセン戦争が起こる。マールブルクはヘッセン・カッセル(Hessen-Kassel)方伯領に留まる。シュロスは三十年戦争以後,官庁として使用されることは無くなった。
- 1756-1763
- 七年戦争時,マールブルクの防御施設はもはや時代遅れとなり,攻撃に耐え切れず何度も占拠される。
- 19世紀
- 一時的に牢獄として使用される。1869年以後は公文書館として使用される。
- 20世紀
- 大学の研究所と博物館になり,一般の人も見学できるようになった。
- 開館時間
- 4月〜10月,火曜日〜日曜日,10:00〜18:00
11月〜3月,火曜日〜日曜日,11:00〜17:00
Tel. 06421-2822355