聖エリザベート
(Die heilige Elisabeth von Thüringen

 歌合戦の伝説の立会いに出てくる人。

 言い伝えでは,1207年7月7日に生まれたと言われている。
 父はハンガリー国王アンドレアス2世(Andreas II,在位1205-1235),母はアンデックス−メラニエン(Andechs-Meranien)伯爵ゲルトルート(Gertrud)。

 エリザベートが4歳の時,チューリンゲン(Thüringeh)方伯ヘルマン1世(Hermann I.)より,皇帝フリードリッヒ2世(Friedrich II.)の従兄弟にあたる同じく4歳の長男ルードヴィッヒ4世(Ludwig IV,在位1217-1227)との婚約話を持ち掛けられ,婚約成立。
 エリザベートの両親は,娘と同い年の子供,乳母,教育係,監督人をつけて娘をチューリンゲンに嫁がせた。

 エリザベートはヴァルトブルク(Wartburg)で,聴罪師であったコンラード・フォン・マールブルク(Konrad von Marburg)の影響を受けて成長する。

 1221年,エリザベート14歳の時,ルードヴィッヒ4世と正式に結婚。

 翌年長男ヘルマン2世(Hermann II),1224年長女ゾフィー(Sophie),1227年次女ゲルトルート(Gertrud)が生まれる。

 貧しい病人のために施療院や養護施設をつくり,貧しい人々に食べ物や着るものを与えるなどの慈善活動を行った。義弟のハインリッヒ・ラスペ(Heinrich Raspe)にとって彼女の慈善活動は,非常に頭の痛い問題だったらしい。

 1227年,夫であるルードヴィッヒが十字軍遠征の途中,病死する。翌年彼女はマールブルク(Marburg)に行き,更に力を入れて慈善活動を行った。

 1228年,ヴァルトブルクを追われてマールブルク城(Schloss Marburg)に未亡人城主として移住。

 1231年11月17日,病人への献身的な看病と疲労により没。享年24歳。
 4年後,グレゴール9世(Gregor IX.)によって列聖される。

 1236年5月,皇帝フリードリッヒ2世(Friedrich II.)は,ドイツに滞在する別の用事があったのだが,それに敬愛していた親族であったエリザベートの埋葬の日程を合わせた。
 葬儀には非常に多くの人がマールブルクを訪れ,皇帝は聖女の遺体に栄冠を授けた。
 そしてすぐにゴシック様式のエリザベート教会(Elisabethkirche)の建築が始められた。

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