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ヴァルトブルク(Wartburg)
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展示品の写真だよん
- 1040年頃
- チューリンゲンの森の小さな開墾値の支配者だった髭のルードヴィッヒ(Ludwig der Bärtige)の子孫,ルードヴィッヒ・デア・シュプリンガー(Ludwig der Splinger)がヴァルトブルクを設立。中世後期の文学によれば,ヴァルトブルクは1067年に設立されたと言われているが,歴史家によれば1073年に設立されたと見られている。
- 1080年1月
- ザクセン戦争(Sächsische Krieg)。国王ハインリッヒ4世(Heinrich IV.)派と反ハインリッヒ派諸侯との争い。文献にヴァルトブルクの名が出てくる始めての出来事。
- 1131
- 国王ロタール・フォン・ズュップッリンゲンブルク(Lothar von Süpplingenburg)により,方伯の位を授かります。
- 1155
- 鉄のルードヴィッヒ2世(Ludwig II. der Eiserne)の妻が皇帝フリードリッヒ一世(Friedrich I. Barbarossa)の妹であったことから,帝国内で大きな権力を持つと同時に十字軍に参加しなければならなくなった。
- 1155
- パラスの建築が始まる。
- 1206
- ヘルマン1世(Hermann I.)の時代に伝説の歌合戦が行われる。(ヴァーグナーの『タンホイザー』設定とは違う。)
- 1211
- 4歳のハンガリー王女エリザベート(Elisabeth)(後の聖エリザベート)がルードヴィッヒ4世・フォン・チューリンゲン(Ludwig von Thüringen)の婚約者としてヴァルトブルクに来る。1221年に正式に結婚。しかし1227年に夫のルードヴィッヒ4世が十字軍の遠征途中,病で亡くなり,翌年彼女はマールブルク城へ移る。ルードヴィッヒ4世の時代にパラスが完成。
- 1246
- ハインリッヒ・ラスペ4世(Heinrich Raspe IV.)が皇帝フリードリッヒ2世(Friedrich II.)の対立国王に立つ。(僅か9ヶ月のち死亡)
- 1247
- 最後のチューリンゲン方伯であるハインリッヒ・ラスペの死後,チューリンゲン継承戦争が起る。その争いは1263年まで続き,ヘッセンとチューリンゲンが分かれる。
- 大空位時代
- 上級貴族たちは権力闘争を繰り返し,アイゼナッハとヴァルトブルクはヴェッティナー家のものになる。以後650年はヴェッティナー家の所有。
- 1265
- チューリンゲンとザクセンが分かれる。
- 1318
- 落雷により炎上。その後5年で増築&改築。この中世後期がヴァルトブルクの主な建築期になる。
- 15世紀
- ブルクにはもう居城としての意義はなくなり,周囲に木組みの建物が建てられて行く。
- 1521年5月4日
- 皇帝カール5世(Karl V.)のヴォルムス帝国議会により帝国追放刑を受けたマルチン・ルターを,ヴァルトブルクで保護。ルターはヴァルトブルクで聖書を翻訳。
- 1777年
- 文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)が滞在し,ヴァルトブルクを評価。
- 1817年10月18日
- ブルシェンシャフトの学生らが宗教改革300年,ライプチッヒ会戦4周年を記念して祝典を開く。
- 1838年〜1890年
- カール・アレクサンダー大公(Erbherzög Carl Alexander)によりチューリンゲン発祥の城として再建される。
- 1922
- ヴァルトブルク財団(Wartburg-Stiftung)が設立され,以後財団が城と収集品保護管理,城の建築と歴史を研究。
- 1967
- 宗教改革450年,ブルシェンシャフト150年を記念して,東ドイツの国家祝典行事が行われる。
- 1999年12月
- ユネスコ世界文化遺産の指定される。
- 開館時間(年中無休)
- 3月〜12月は8:30〜17:00
11月〜2月は9:00〜15:30
パラスはドイツ語のガイドツアーのみ。その後の博物館は自由見学。
- 所在地
- Wartburg-Stiftung Auf der Wartburg 99817 Eisenach
Tel.03691-2500 Fax.03691-203342
http://www.wartburg-eisenach.de/
- 城主
- Wartburg-Stiftung