4/4 Page
ロンネブルク城(Burg Ronneburg)
画像をクリックすると,大きくなるよん
城下の写真だよん
ここで行われた,中世祭りレポートも読んで:
1,
2,
3
- 1258
- 文献に残る最初の城主,ミニステリアーレ(Ministeriale)一家が住んでいたらしい。
- 1313
- マインツ司教が相続する。管理人として下級貴族を利用し,世襲封土とした。
- 1346
- 新しい管理人として,クロンベルク(Kronberg)の2つの騎士の家系がその役職を勝ち取った。が,抵当に入れられ司教が買い戻した。
- 1371
- 既に司教は名ばかりの城主になっていたが法律上は城主だった。司教の同意でクロンベルクのフランク(Frank)は,第3城門(Brunnenhaus)とパラス(Palas)を改築する。何度も起こったフランクフルト(Frankfurt)との争い等において,重要な拠点でだった。
- 1407
- マインツ司教区の都市の協力を得て買い戻しに成功する。
- 1475
- ナッサウ(Nassau)とイーゼンブルク(Ysenburg)の間でロンネブルクをめぐる緊張関係ずっとがあったが,イーゼンブルク家出身のものが司教に就くことにより,イーゼンブルク家が統治することになった。快適に住めるよう,少し改築。
- 1538
- 馬屋,穀物倉,ワイン倉等が徐々に完成する。
- 1560
- アントン伯(Graf Anthon)は晩年,通風のためロンネブルク城で過ごす。水城のブューディンゲン(Büdingen)やヴェヒタースバッハ(Wächtersbach)より過ごし易かったようだ。
- 1581
- 塔の改築が完成する。
- 1621
- 30年戦争の時中立を保とうとしたがなかなか困難だった。不注意から北東部を焼失し,再び再建された。その後“信仰の駆け込み寺”となり,いろいろな亡命者がやってきた。
- 1736
- ヘルンフート派同胞教会(Herrnhuter Brüdergemeinde)の場所を探しているツィンツェンドルフ(Zinzendorf)伯の襲撃を受ける。
- 1821
- 法律が変わり,もはや独立国として振る舞うことは出来なくなった。
- 1885
- 次第に人口が減少し,最後の住民も去り,ついには人の住まない城になった。
- 1890
- ヘッセンの文化財として保存しようという運動が起こり,城が研究される。
- 1988
- 最初に城の歴史が公開され,博物館として公開され,馬屋がレストランとしてオープン。Förderkreises Burg Ronneburg e.V.が城の管理を任されることになった。
- 開館期間および時間
- 3月〜12月:10時〜17時。月曜休館
2月:土曜日,日曜日の10時〜17時
- 所在地
- Förderkreis Burg Ronneburg e.V. 63549 Ronneburg
Tel.06048-950904 Fax.06048-950906
博物館は見学自由。ガイドが欲しい時は要連絡。
http://www.burg-ronneburg.de
3月から12月の間,土日は何らかのイベントをやっているようです。ここで年間行事予定表を確認してから行くことをお勧めします。
- 城主
- Wolfgang Ernst zu Ysenburg und Büdingen